経営企画の面白みをダイレクトに感じられる街。福岡は小さくて大きな実験場。

良くも悪くも福岡人は福岡のことが大好きです。福岡を出たがらないくせに、他県と比較して「ほら、福岡って素敵でしょ」と乱暴にまとめようとする悪癖があることを、生粋の福岡人である私も自覚をしています。しかし自然が多い、コンパクトシティである、適度に都会だ、食事が美味しいなど生活に関する素敵な情報は耳に届いてくるけれど、仕事という面においては情報が少ないように思います。そこで今回、実際に東京からUターン転職を果たした方に、「福岡で働く意味」について尋ねてみることにしました。お届けするのは安永です。

経営者というものは、時に寂しいもの。


【株式会社アルサホールディングス 経営企画室 室長:毛利明光さん】
1997年岡山生まれ。2000年上智大学卒業後、日本衛生放送株式会社(現:株式会社WOWOWO)に入社し広報部にて5年間勤務。2005年に自身でPR会社を立ち上げるも2011年の東日本大震災を機に、妻の故郷である福岡への移住を決断。前職の青果卸の企業を経て、2017年より株式会社アルサホールディングスの経営企画室長として勤務。プライベートでは妻と2人の娘を持つマイホームパパ。

※株式会社アルサホールディングス(アルサグループ)について
ホテル・病院などのリネンサプライ事業、レンタルおしぼり・マット事業、ミネラルウォーターの宅配事業、クリーン事業、人材事業などお客様の「快適」を提供するハブカンパニー。


毛利
:おこがましいかもしれないけれど、僕は自分の仕事を経営サポーターだと思っているんです。

彼は真剣な眼差しで、そう口火を切った。
実現したい夢がある、仲間に伝えたい思いがある。だけど、それをうまく言語化できない。仕組みに落とし込めない。そして、社員に弱音は吐けない。そんな悩みを持つ中小企業の経営者が多いということに、福岡に来てから改めて気がついたのだといいます。

毛利:僕は映画が好きで、大学在学中は単館形シネマばかり見ていました。好きが高じて新卒で入社した会社は、日本初の有料放送局。映画部の配属を希望していたのですが、5年間ずっと広報部だったので、これはずっとチャンスが回ってこないぞ、と痺れを切らして友人と独立しちゃったんです。

3人だけのPRの会社。プレスリリースを書いたり、HPを作ったり、ロゴを作ったり、広報で培った経験や人脈をフルに活用して、徐々に実績を重ねていった。そして、2009年には念願だった映画の制作にも携わることとなります。

毛利:越後妻有アートトリエンナーレで行われる芸術祭などにも招待されて。すごく楽しかったなぁ。でもちょうどDVD化の話が持ち上がった時に、東日本大震災が起きて…妻と娘が福岡の実家に避難したのですが、全く帰ってくる気配がない。じゃぁ、僕が福岡に行こうと。最初は福岡でクライアントを広げながら仕事をしようかとも思ったのですが、見知らぬ土地でしかもゼロベースで事業を興すのはリスクがあるなって。どうしようか迷っている時に、大学時代の先輩から前職の経営企画の仕事を紹介してもらったんです。

話を聞いてみると、青果市場をホールディングス化しているめずらしい会社だった。これは面白そうだ!3人だけの小さな会社だったとはいえ、まがりなりにも経営者だった。経営の感覚はわかっている。広報の経験も役に立ちそうだと、興味がむくむくと頭をもたげ入社を決意します。

毛利:ラッキーだったのは、社長から東京のお客様の対応が残っているなら、しばらくパラレルワークをしても構わないと言ってもらえたことです。懐が深いと思うと同時に、求められていると感じましたね。それで3年かけて徐々に福岡へ軸足を移していったと言う感じです。

組織改編に、買収に、ホールディングスの経営管理にと課題は数えきれない。社長から直々に相談を受けて、経営についても一緒に考えながら、方向を決めていく。社長直下の機関として、本社の意向を10社ほどあるグループの取締役に上手に伝えることも求められたという。

毛利:最初は外様の僕を受け入れてくれない方もいました。年齢も僕より上の方が多かったので、飲みニケーションができたらもっと早く仲良くなれたかもしれませんが、福岡に来てから車通勤だったのでそれも叶わない。これは仕事で見せるしかないと思ったんですね。ただ上から命じるのではなく、それぞれの立場や思いに共感しつつ、とにかく誠実に対応していると、だんだんと彼らの態度が軟化していくのを感じました。

そして毛利さんは気がつきます。おや経営者の気持ちがわかるということが、どうやら自分の最大の強みらしいぞ、と。

「社長と二人三脚」で歩むチャレンジャーでありたい

それでは子会社の取締役を任せられるほどに社長から信任を得ていた毛利さんが、どうして今の会社に転職することになったのでしょうか。

毛利:東京のホールディングス化している会社と合併することとなったんですが、2つも本社機能は必要ないので東京で1つにまとめることになったんです。子会社の経営もやりがいがあり、やりたいこともまだあったけれど、福岡以外での暮らしは考えられなくて。それに”地場中小企業で働く面白み”みたいなものを感じていましたから、次も福岡本社の企業に転職しようと思いました。

大手企業の福岡支店ではなく、中小の方がよい。しかも福岡の地場企業で、とはどう言うことだろうか。失礼を承知で「東京であれば、それまでのような仕事を任せてもらえないのではと思ったと言うことでしょうか」とたずねてみたところ、にっこりと目尻を下げてこう答えてくれました。

毛利:そうですね。そういう思いがなかったと言ったら嘘になります。東京にはコンサルティングの専門家が多くいますし、商圏も大きい。都会すぎず、田舎すぎない福岡くらいの規模だから、裁量権の大きな仕事を任されたということはあると思います。

少年のように瞳を輝かせた毛利さん。だんだん言葉に熱がこもります。

毛利:僕はチャレンジすることが好きな方なんです。チャレンジの先に、自己成長があると思っていますから。中小企業ならば、自分の意志がすぐに反映されるという時間的メリットも大きい。ですから、福岡本社の中小企業に魅力を感じているんですね。

そんな毛利さんが次に選んだのが、リネンサプライなどのストックビジネスを中心とするアルサグループです。ちょうど事業承継のタイミングということもあり、社長は相談できるパートナーを探していたのだそう。体制をきちんと整えたいし、次の事業の柱も考えなくてはならない。入社前の1年間をかけてなんども社長と顔を合わせては、自分に期待されていること、会社が実現したい姿や課題感をすり合わせていったと言います。

毛利:2代目の社長は当時36歳ですから、同年代の僕には相談もしやすかったのだと思います。「一緒にやっていける人を探している」と聞いて、それで腹を括りました。でもね4月に入社したのですが、3日と経たないうちに6月にある中計画の発表を任せるぞ!と言われたんです。

「えっ?無茶振りですよね!」思わず眉を寄せた筆者を見て、毛利さんはあははと笑うだけ。

毛利:まぁ、もしかして…という予感があったので、心構えはできていたんです。入社前の1年間で聞いていた話をもとに骨子を整えて提出したら「これで行こう」とすぐにGOサインが。5月は肉付けの作業を行うだけだったので、そんなに苦労はありませんでした。

入社早々に手腕を発揮し、センセーショナルなデビューを果たした毛利さんですが、活躍の場はそれだけに止まりません。自らをチャレンジ好きと評する通り、人事制度の見直しや新しい事業の計画立案と、次々と果敢に課題に向かっていきます。その中でも毛利さんが一番心血を注いだビッグプロジェクトが、一昨年の創業50周年を機に行った会社のリブランディング。ロゴに始まり、HPやパンフレット、看板、ユニフォーム、広告物に至るすべてを見直し、社長へプレゼンしました。

毛利:企業理念を浸透させたいという新代表の思いとタイミングがバッチリ重なった。元々やりたい仕事でもあったので、全部任せてもらえたことにやりがいを感じましたね。とはいえ、まだ完璧じゃない。インナーブランディングは次の課題であり、そのとりかかりとして僕もコーチングの資格をとりました。インナーブランディングと人材開発は切り離せないものですから、まずは育成する立場に身を置いた上で独自の仕組みづくりをする必要があると考えたんですね。社員の心理的安全性を確保し、考えや力を引き出し、共有する。いずれは1on1も取り入れたいですね。もちろんトップから考えや行動を変えていただくつもりです。言い過ぎかもれしれませんが、いま社長と二人三脚で作っていっているつもりなんです。

「今日も社長と話してきたんですけどね」と、鼻の頭をかきながら目を細めて笑う毛利さんはとてもチャーミングでした。

結局は福岡という町が好き。

ここまで約1時間の取材。終始柔和な物腰と笑顔を絶やさない毛利さん。「福岡に来てから良いことづくめです」と言い切る姿をみていると、少し意地悪な気持ちが湧いてきて、気がつくと「なにか失敗とかないんですか?」と聞いてしまっていました。

 

毛利:そうですね。企画倒れのことがありすぎて、それを失敗というなら失敗だらけです。やると決めたら腹を括らないといけないし、パワーがかかる。自分がやりたいことと、会社が求めることが必ずしもイコールではないので、いつもそんな葛藤の中にいますよ。あぁ、でもそんな思いの中で昨年からスタートした人材領域の事業は、達成感ありましたね。慢性的な人手不足解消のために、社内メンバーとともに派遣会社を立ち上げたんですが、結果は上々。現場のコストは若干上がりましたが、人が足りないという現場の不安は軽くなりました。もちろん売り上げを上げるための仕組みなど、問題は山積みですから、継続課題ですね。

口調は真剣そのものですが、不思議と悲壮感はありません。仕事を、苦難を楽しんでいるといった印象さえ受けました。

毛利:福岡に来てからは、いろいろなことにチャレンジさせてもらえる環境にあって、本当に恵まれていると思います。

「それにね」ふふふと含み笑いをする毛利さん。

毛利:なにより福岡という町が好きです。自然が近くて、繁華街も近い。食事もおいしい。福岡に来て3年後に、妻の実家近くに2階立ての家を建てました。2階にあるリビングの一面はガラス張りで眼下に自然が広がっている。眺めは最高です。家から10分ほど車をとばせば、蛍が見られる。土日は子供たちを連れて、田畑にいったり、山にいったり。朝は5キロジョギングしてから、子供たちと一緒に食事をとって出勤します。ちなみに、給与でいうとおそらく東京時代の同期の7割程度だと思います。それでもその分物価は安いし、ここでなら僕のやりたいことは全部できる。仕事するにも、生活するにも、僕にとってはこれ以上ない環境じゃないんですかね。

今日一番の笑顔に目が眩みそうになりながら、筆者は「なるほど」とうなずくのが精一杯でした。
<終わります>

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

安永 桂子

生まれも育ちも福岡市博多区。福岡県以外で生活をしたことがない、生粋の福岡県人です。 この先も福岡を出る気が一切ありません!って断言できるくらいには、福岡ラブ★趣味はライブ参戦♪